こんにちは
海外のライフスタイルを輸入する貿易商
白塚愛子です
〜〜♡〜〜
今日は朝から本当に良いお天気ですね!
月曜日から気持ちよく晴れると
きっと素敵な一週間になる!
と勝手に思い込むクセがあります。笑
ワクワク期待して待つことにします♪
週末はいつものように教会へ。
牧師先生のお話に
改めて感動したので
少しシェアさせて頂きます。
今日のテーマは
聖書の中の
マタイの福音書5章4節にある
有名な句。
「悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。」
私はいつも悲しいことがあった時
この聖句を思い出して
祈ってました。
「悲しいから慰めて下さい。」と。笑
でも
ここでいう「悲しみ」とは
どのようなものでしょうか?
というお話でした。
牧師先生はまず・・・
次のようなものでありませんと
ハッキリおっしゃしました。
①愛する人を失った悲しみ。
②人生で自分の希望が
満たされなかった時に感じる悲しみ・・・
でもないそうです。
もちろん、
このような悲しみの時に
神様は私たちを慰めては下さいますが
このマタイの福音書で言われる
「悲しみ」は別の意味だそう。
因みに・・・
私の悲しみは基本的に
上記の②であることがほとんど。笑
しかし
聖書に書かれている「悲しみ」は
「自分の罪深さを嘆く悲しみ」
だそう。
誰かに対して
いらだちや憤りを感じる時
その感情が沸き起こる原因は
「自分自身の内部で言い争う欲望」
なのだそう。
言い換えれば・・・
問題なのは
自分を苛立たせる「人」ではなく
自分自信をコントロールする内部の
熱意や欲望なのだそう。
よって
苛立ちを覚えた時は
相手を責めるのではなく
自分自身に
今、
自分が欲しているのに
得られないものは何だろうか?
と問いかけましょうとのこと。
私の場合・・・
相手にこうあるべき!という
自分の価値観を期待していることが
ほとんどです。
世の中それが常識なのだから
とか
自分が正しいという自我ですね。
でも・・・
頭ではもっと寛容にならねば
と理解していても
人間って
そんな簡単に自分を変えられません。
だから
そんな自分の愚かさを悲しみなさい。
そうすれば
神様が慰めて変えて下さるから
と
聖書は書いてるそうです。
日々、勉強です。笑
こんな私でも
本当に多くの祝福に満たされ
生かされていることに感謝です。
今日も読んでいただきありがとうございます。